2011年3月31日木曜日

今日は旭川へ

本日は旭川へ出張です。いつもは車ですが今日はJRにしました。おかげで以前から見たいと思っていたJR新旭川駅を見ることができました。

L特急の新車両のシルバーとホームの上屋を支える鉄骨の亜鉛メッキのグレーの地肌がマッチして渋くてクールでした。新車両の窓にはなんとペアガラスが使われていました。室内の照明も電球色で落ち着いた感じです。ずいぶん雰囲気がEUっぽくなってきました。

上屋を支える鉄骨の柱は4本に枝分かれするデザイン。設計は内藤廣

室内は電球色照明に地場産のタモ材がふんだんに使われています。

高架駅のためにホームは高いところにあります。

限定:10000人のプロジェクト、旭川駅にあなたの名前を刻みませんか?によるネームプレート。

駅舎はとってもお洒落だったけど、残念だったのは街だった。旭川の街づくりには正直、疑問を感じてしまう。どんどん人口が減ってゆくのに市街地を拡大し、あたらしい庁舎やインフラを中心街から離れた旧国鉄跡地に分散させる北彩都計画、駅は立派でも眼前の街は寂れつつある。箱物中心、社会が素早く大きく変わろうとしているのについて行けない、重厚長大な意思決定システム。メイン通りの買い物公園沿いの百貨店には空きテナントが目立ち、四条からは一段と閑散とする中心街。人口減少の中、賑わいを集約しなくてはいけないのに、実際はその反対。まさに一度始まったら、赤字国債が増えようが、必要性がなくなろうがただ惰性で実行されるダム建設と変わらない。公共工事に大きく依存し、建設、土木大国だった旭川。かくいう私もそんな時代にこの街で勤め人時代を過ごした。下りのエスカレーターが止まり、大きなフロアーでたった二軒のブティックがかろうじて店を開いている百貨店。それ以外のテナントスペースは電気が消され布が下げられている。道の両側に立ち並んでいた立派なホテルが跡形もなく壊され後ろの月決め駐車場が丸見えになった昭和通り。最新の人口推計では2035年には30万人を大きく割り込むとの事。しかし箱物の建設は続く。
嬉しかったのは15年ぶりに訪れた食堂で食べたカレー。その名も「自由軒」。カレーはルーから手作りで配合は秘密。苦味と甘みが絡み合う味はまったく変わることなし。ほんとうに美味しかった。マスターに、「15年ぶりです。」って言ったら「もうそんなになるう?」だって。涙が出そうになります。帰り際「大丈夫!街が変わっても自由軒は変わらないから。」マスターほんと最高です。

オクノ(旭川を代表するファッションビル、DCブランド等のテナントが入る)でやっていた、北海道東海大学は暮らしデザイン学科の展示会。なにをかくそう我が母校です。とっても気合の入った家具やカテラリーの数々。写真は白樺のお皿、素朴な風合いが好印象です。

普段着で使うことを大切にしている点がとっても素敵だった。構えたデザインなんてつまらない。毎日さりげなくそばにあることがほんとうにデザイン的ってこと。そんな大人なメッセージを感じました。北欧の影響が強くデザインの市民化に取り組む伝統はしっかり継承されています。

実物は驚きの加工技術が光る。もちろん直線的ながらバランスのよいプロポーションにはたいへんな苦労が隠されていることが伺える。大物になってくださいね。この椅子ほしくなりました。 
お洒落なスツール、簡素であることはけしてロークオリティーではないという証。

ユーモラスなかわいさと多種の端材から作り上げた集成材のシャープさが同居する作品。


 閑散とはしていたも、作品のクオリティーは高いものがありました。そんな大学もあと4年で旭川からなくなります。とても残念です。 
最後はもう一軒想い出の店、中華料理の「敦煌」へ。今から27年前、初めて旭川に来た日に食べたのがこの餃子定食。まったく当時から変わることなく、お皿さえ当時のままに、ああ感激!帰り際ご主人にお礼を言うと、「27年か~、今年でうちも32年経ちました。なんとなく見覚えがあるから昔のお客さんかな?って思ってね。」こっちも思わず泣きそうになりました。みなさんもぜひ買い物公園5条へ、このほかにも塩ホルモンの炭屋本店等々、珠玉の名店がありますよ~。もちろん「自由軒」もね。ぜひ行ってみて下さい。実は今年、旭川で久しぶりに仕事が決まりました。クライアントさんに心よりお礼申し上げます。久しぶりに旭川の素晴らしい職人たちと仕事ができることをほんとうに楽しみにしています。いただいたチャンスを精一杯生かして、簡素で素敵な家をつくりたいと思います。旭川万歳!